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えっ?ただの宣伝文句でしょ!?
格式ある大物作家が、本格的に書いた推理小説ってこと?
と思ってる人が多いのではないでしょうか
これが少し違うんですよ
意外に知られていない本格推理小説の実態は?
きっと、手にとりたくなることまちがいなしです
本格推理小説の定義

多くの著名人が、あらゆる思想を展開されつつも、決定的な定義とみなされる文言はないようです
ですが、らくだがしっくりくるなと思ったのが二階堂黎人先生のおっしゃる定義です
「本格推理小説とは、手がかりと伏線、証拠を基に、論理的に解決される謎解き及び犯人当て小説である」というものです


現代の(本格でない)推理小説は、 手がかりと伏線、証拠から 犯人を割り出せる必要はなく、比較的自由に謎をあつかいます
わかりやすく言えば、手がかりと伏線、証拠から、必ず犯人を論理的に割り出せるのが、本格推理小説です
そこに謎解きの楽しさがあるんですね
では”本格”という名称ながら、狭義のミステリーと言われる本格推理小説の成り立ちは、どのようなものだったのでしょう
黒船来航 日本を震撼させた一篇の小説

1841年4月 アメリカのグレアムズ・マガジン誌に、エドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」が発表されました
世界中に衝撃を与えたこの作品が、世界初のミステリー小説とされています(諸説あり)
そして、1887年(明治20年)日本でも読売新聞誌上にて翻訳が掲載されました。これを機に日本はミステリー大国の道を歩んでゆきます
明治22年 黒岩涙香により、邦人初の創作探偵小説である「無惨」を発表するが、皮肉な事に論理的すぎるという理由から不評だったと伝えられています
大正15年 現代の”本格”に当たるのが”探偵小説”ですが、後に 論理的興味を有する探偵小説を”本格”とし、一般的な”探偵小説”と”本格探偵小説”を区別させる動きが活発になりました
昭和21年11月 内閣訓令により当用漢字表の中に「偵」の文字が含まれていなかった
これにより、”探偵小説”は”探てい小説”と表記せざるをえなくなる
やがて、”探てい小説”はひらがな表記が不格好な為か、”推理小説”という名称に定着しました
だが、またしても一般的な”推理小説”との区別の為に ”本格推理小説”が登場
ですが一般的推理小説の多様化と発展にともない、本格推理小説は衰退の一途をたどることとなります
ところが昭和50年代 横溝正史が大フィーバー、島田荘司、連城三紀彦らが、再び本格派の狼煙を上げる
そして昭和60年代 綾辻行人のデビューに端を発する新たなるムーブメントが起こり、新本格派といわれる作家達が次々と傑作を発表
平成12年 本格ミステリ作家クラブが誕生 本格ミステリー大賞を設立 会員数190名となる
ざっくりと振り返ると、このような紆余曲折を経て、現在に至るようです
一口に本格推理小説と言っても、古い歴史があるんですね
一篇の黒船の衝撃が、いかに凄かったかがうかがえますね
フェアプレイ

フェアプレイと聞いて思い浮かぶのは、スポーツですよね
でもこれ、本格推理小説にも大きく関わる言葉なんです
本格推理小説は、作者VS読者の謎解きゲームですよね
でも作者の出題に不備があったら、読者はどう思うでしょうか?
例えばホームズや金田一がラストのシーンで、超能力や魔術によって犯人に真実を突きつける、となったらどうでしょう?
もはや、なんでも有りになってしまいますよね、これでは物語の世界観の崩壊に繋がりますし、読者が謎を解くのは無理になってしまします
ですから、これを抑止するために本格推理小説には性格上、最低限のルールが存在します
例えば、ノックスの十戒やヴァン・ダインの二十則が有名ですが、これらは90年も前に発表されたルールであり、様々な理由により全ては尊重されていないようです
(でも90年前ってスゴくないですか?)
ですが、当然踏襲しなければならないポイントもあります
たとえば
”事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない”
”土壇場で探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解いてはいけない”
といった項ですね
作家と読者が納得できるフェアラインは時代とともに変化し、作家がラインを打ち砕く事で新たな本格推理小説が生まれてきました
そしてそれは、いずれノックスの十戒や、ヴァン・ダインの二十則を葬るほどの変化を遂げるやもしれません
まとめ
約170年前、全ての始まりである「モルグ街の殺人」が発表されると、それまで無かった革命的な小説に世界中が驚き、そのスタイルはあっという間に広まり、幾度の隆盛の波を乗り越えながら、我が国でも多くの素晴らしい作品が生まれてきました
未来の本を読むことができませんが、過去の傑作は好きなだけ読めます、ぜひこの機会に過去の名作を手に取ってみてください