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マスコミが毎回盛り上がる文学賞として、誰もが聞いたことのある芥川賞と直木賞
創設から数えて161回にもなる歴史ある両賞ですが、いったいどのような賞なのでしょうか?
両賞設立のきっかけ
昭和9年に43歳で亡くなった直木三十五と親交が深かった菊池寛(文藝春秋社の創立者)が、悲しみの末に設立を思い立ち、同様に親交があった昭和2年に自殺した芥川龍之介の名と合わせて創設に至ったと言われています
無名・新進作家が対象
直木三十五賞 大衆文芸
無名・新進作家が対象
第1回芥川賞の選考委員は菊池寛、川端康成、谷崎潤一郎、室生犀星、佐藤春夫ら11名
直木賞の選考委員は同じく菊池寛、吉川英治、久米正雄ら8名によって決定されました

話がカタイわ
漢字だらけやないか

そこらへんは大目に見てよ

ホンマ、POPに頼むで
芥川賞のスター誕生!

作家や文学界ではもてはやされていた両賞でしたが、当初の世間の認知度はイマイチだったようで、創設者の菊池寛が文藝春秋誌上で「新聞などは、もっと大きく扱ってくれてもいいと思う」という言葉があったほどに、メディアは注目しなかったようです
ところが、一人の受賞者の出現により、芥川賞が一躍注目を浴びることとなります
それが、あの!……

綿矢りさやな!
あの時のフィーバーはヤバかったもんな

違います
それが運命の第34回 1955年下半期 「太陽の季節」で受賞した石原慎太郎です!

あの!「太陽の季節」以前、以降で脚光の度合いが激変するほどに、この作品は芥川賞の運命を変えてしまいました
それは、第34回以前の受賞者のコメントが物語っています
1954年に受賞した吉行淳之介は、自身の受賞当時の芥川賞について「社会的話題にはならず、受賞者がにわかに忙しくなることはなかった」と述べており[4]、1955年に受賞した遠藤周作も、当時は「ショウではなくてほんとに賞だった」と話題性の低さを言い表している[5]。遠藤によれば、授賞式も新聞関係と文藝春秋社内の人間が10人ほど集まるだけのごく小規模なものだったという。転機となったのは1956年の石原慎太郎「太陽の季節」の受賞である[6]。作品のセンセーショナルな内容や学生作家であったことなどから大きな話題を呼び、受賞作がベストセラーとなっただけでなく「太陽族」という新語が生まれ石原の髪型を真似た「慎太郎カット」が流行するなど「慎太郎ブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こした[4]。これ以降芥川賞・直木賞はジャーナリズムに大きく取り上げられる賞となり1957年下半期に開高健、1958年上半期に大江健三郎が受賞した頃には新聞社だけでなくテレビ、ラジオ局からも取材が押し寄せ、また新作の掲載権をめぐって雑誌社が争うほどになっていた[7]。今日においても話題性の高さは変わらず特に受賞者が学生作家であるような場合にはジャーナリズムに大きく取り上げられ、受賞作はしばしばベストセラーとなっている。
出典元:引用ーwikipedia
どうしてこの作品が?

作者は国会議員もやったほどの元都知事で
弟はあの銀幕の大スターやで
メディアに取り上げるな言う方が無茶な話やろ

残念です
受賞当時、石原慎太郎氏は単なる一橋大の学生でした
大学生が受賞したということも、当時話題になったそうですが、何よりもこの作品が一斉を風靡した理由は、作品が映画化され大ヒットしたことでしょう
この一作より、両賞はメディアを巻き込む由緒ある文学賞へと認められるようになりました
三島由紀夫が受賞できなかった知られざる事情とは
芥川賞の創設以来、なぜか受賞していない、といわれる作家さんは少なくありません
その要因といわれているのが、「無名・新進作家が対象」といわれる規定ですね
幾度もノミネートされながらも、受賞を逃してしまい、いつの間にか無名ではなく有名の域に達してしまった作家は、もう受賞の資格を失ってしまいます(後年、直木賞はその規定を無効化し、中堅からベテランを対象としています)
ですが三島由紀夫の場合は少々事情が異なりました
頭角を現し、その名が広まりつつあった時期が戦時中というタイミングが重なり、終戦後に選考を再開した時には、三島由紀夫はもはや新進作家とは言えないとの評価を受け、受賞には至らなかったそうです

生まれた時期が少し違っただけで
石原慎太郎とは陰と陽やないか

そして、その後の人生も違ったものになっていたでしょう
芥川賞と直木賞は応募できるの?
こう思っておられる人は意外と多いようですね
芥川賞、直木賞は応募できません
編集者さんの推薦により、はじめて候補になり得ます
つまりは、プロの作家だけが対象なので、まず他の新人賞に応募することが先決です
ですが、もし新人賞に選ばれたとしたら、芥川賞、直木賞を受賞する可能性はあります
菊池寛の言葉に
設立者の菊池自身は「むろん芥川賞・直木賞などは、半分は雑誌の宣伝にやっているのだ。そのことは最初から明言してある」(「話の屑籠」『文藝春秋』1935年10月号)とはっきりとその商業的な性格を認めている
出典元:引用ーwikipedia
とあるように、話題性や商業的な一面もありますので、今後、最年少受賞や最高齢受賞も更新されることが、充分考えられると思われます
将来、作家を目指している中学生、七十代の皆さん、チャンスです
ガンガン書いてみませんか(^^)
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